メシヤ的即ち来世的の言である

とある言は確かにメシヤ的即ち来世的の言である(一章三十三節)、神の言葉として是は勿論追従の言葉ではない、又比喩的に解釈せらるべきものではない、何時か事実となりて現わるべき言葉である、然るに今時《いま》は如何と云うに、イエスの死後千九百年後の今日、彼は猶太人全体に斥けられこそすれ「ヤコブの家を窮なく支...

このエントリーの続きを読む≫

— posted by id at 11:40 am  

我を呼びて主よ主よと言う者

[#2字下げ]我を呼びて主よ主よと言う者|尽《ことごと》く天国に入るに非ず、之に入る者は唯我天に在《いま》す父の旨に遵《したが》う者のみ、其日我に語りて主よ主よ我等主の名に託《よ》りて教え主の名に託りて鬼を逐い、主の名に託りて多くの異能《ことなるわざ》を為ししに非ずやと云う者多からん、其時我れ彼等に...

このエントリーの続きを読む≫

— posted by id at 11:40 am  

天国は万事に於て此世の正反対である

「我がために人汝等を詬※[#「言+卒」、U+8AB6、50-5]《ののし》り又|迫害《せめ》偽わりて様々の悪言《あしきこと》を言わん其時汝等は福なり、喜べ、躍り喜べ、天に於て汝等の報賞《むくい》多ければ也、そは汝等より前《さき》の予言者をも斯く迫害《せめ》たれば也」と教えられた、天国は万事に於て此世...

このエントリーの続きを読む≫

— posted by id at 11:38 am  

T: Y: ALL: Online:
Created in 0.0115 sec.

http://aweb1.org/