美しい女のひと

 5 谷村さんは、それから四五日は、学校にも出ないで毎日呆やりしていました。 二階で、一寸誰かあばれて埃が落ちても、谷村さんは狂人のように口を開けて、その埃を吸うのです。 美しい女のひとは一度も谷村さんを訪ねてくれようとはしませんでした。洗面所で、あの翌日会つた時も女のひとは手をしやぼん[#「しやぼん」に傍点]で洗いながら、「少し急がしいものですから、もう出歩いてばかり居ります」 そんな風な事を云つて、谷村さんを予防するかのような口吻でさえありました。でも、谷村さんには、その女のひとに会えないながらも、もうひとつの、甘い出来事が心の片隅に残してあつたのです。

 谷村さんは、思い切つて太つちよの下女に、あの美しい女のひとの事を尋ねてみようかなんぞと思いました。けれど、谷村さんは、食事ごとに、竹行李の中にたまつて行く卵の事を考えると、一度に苦しい気特になつてしまいます。「本当にもう卵なんか持つて来なくてもいゝんだよ、僕アあんまり好きじやアないんだ」 そう谷村さんが云つても、太つちよの女は、現在二ツずつ卵をたいらげて行つている谷村さんの事を考えて、きつと、此の人は遠慮から、その様な事を云うのであろうと思つていました。「えゝ私は、二ツばかりの卵を持つて来るのに無理をしているのではありませんよ」 谷村さんは困つてしまつて、毎日日課のように卵を二ツずつ竹行李の中にしまいました。

 雨あがりの、秋めいた夜でありました。感傷的になつた谷村さんは、フッと太つちよの女をとらえて、四号室の女のひとの事を訊きました。「四号室の女のひとつて、あゝ私のように太つた画描きの女のひとですか?」「太つた女のひと?」「えゝ」

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