気むずかしく声を荒げて

 谷村さんは、夕飯を持つて来るまでに調べておきたかつたので、気むずかしく声を荒げて云いました。「僕アおなか[#「おなか」に傍点]いつぱいだ、もう一時間位してからにして下さい」 太つちよの女中は、谷村さんを見ても、朝のようにキッキッと笑いませんで、淋しそうに大きい溜息をついて、手紙箱の方をしらべに立つて行きました。二階から空のお膳を持つて降りて来たスガメの下女が、谷村さんを見て、くすりツと盗み笑いをして台所へ行きます。 谷村さんは、大変眼が近いので、スガメの下女の盗み笑いを見逃して、郊外から持ち越しのスリッパをペタンペタンはいて、洗面所の方へ手を洗いに行きました。

「まア!」「やア、さつきは……」「まア、本当に私こそさつきはありがとうございました。お蔭様で、あのウ……どなたかお友達でもお訪ねになつてこゝへいらつしやいましたの」「いゝえ、僕ア実は昨夜こゝへ越して来たんですが、清修館と云うのが自分の下宿だとは思いませんでしたから……」「オホッホ……まア呑気な方、私二階の四号室です、どうぞ遊びにいらつして下さいませ」「ハア、ありがとうございます」 谷村さんは何か子供つぽくうれしくなつて、水道の栓も忘れた位、勇んで部屋へかえりますと、もう顕微鏡の事なんぞも忘れ果てて、ジリジリと釦を押しました。「お呼びですか」「あゝお腹が空いたんだ」「まア、谷村さんたら随分憎らしいわ、御飯上げましようかと云つたら、もう一時間位して持つて来てくれつて云うし、ゆつくりしていると、じきに釦を押すし……」「たのむ、僕が悪いんだよ」

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