街路樹のすゞかけ

「マア、それは、でも……御道順でございますか?」「いゝえ後返りですが、僕はひま[#「ひま」に傍点]ですから帰りましよう」「済みませんわ、そんなにして戴いて……」 街路樹のすゞかけ[#「すゞかけ」に傍点]がさわさわと谷村さんの頭の上で鳴つていました。谷村さんは凉しい風に何気なく帽子を取りましたが、一夏中被つたカンカン帽子が黄に焼けて、一寸気恥ずかしい思いでありました。 その断髪の女のひとは、女給のようにも見えました。昨夜からのでありましよう、衿白粉が黒ずんで、顔が蒼くむくんでいました。それでも、眉も眼も唇もはつきりして、大変美しいひとで、谷村さんは、此の様な若い女のひとと歩くのは初めてでありますから、一寸まぶしい[#「まぶしい」に傍点]思いがいたしました。「その風呂敷ひとつ僕が持つて上げましよう、お出しなさい」「いゝえいゝんでございますよ」 女のひとの美しい指には青い静脈が浮いて、谷村さんには、それが大変いたいたしく見え、谷村さんは無理に、女のひとからその風呂敷包みの一ツを取つて持ちました。谷村さんに取つて、それはなぜか心楽しい事でありました。

「あゝあれですか?」 八幡様のダラダラ道を上ると、一番高いところに、清修館と云う、白ペンキの看板が出ていました。心長閑な谷村さんは、昨夜越して来たばかりのせいか、自分の泊つている下宿の名前さへも忘れていたのでありました。「あれです」 谷村さんは蜆汁の事を考えて、又、フッと憂欝になりました。「ありがとうございましたわ、本当に……」

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